2019年11月27日(水)
前日にハノイ経由でヤンゴン入りして市内で1泊。
翌朝早くに国内線でバガンへ移動。なかなか快適なプロペラ機でした。おやつ付きです。
今回は、STWで、ホテルを選べるフリーツアー(バガンとインレー湖でガイド付き観光あり)を選びました。
この日は、空港に到着すると、ガイドさんが案内してくれて、バガン半日観光。
まず、Nyaung U市場を一回り。東南アジアの市場は、現地での生活が垣間見えるので、大好きです!
その後、Shwe-zi-gon Pagodaにお詣りしました。青空に金ピカのパゴダが映えます。
Ananda Templeや涅槃仏のあるマヌーハ寺院、バガンで一番高い寺院であるThat-byin-you Temple、バガンで最大級の未完成のレンガ作りの寺院であるDhamma-yan-gyi Pahtoなどを見て回っているうちに、だんだん陽が傾いて来ました。
夕陽を見るために、ニャンラパット・ポンドの丘に連れて来られました。
(連れて来られたので、地図上の位置が不明)
動画の音声でお分かりのように、韓国・中国・欧米の観光客が大勢集まっていました。
お聞き苦しいセリフが入っていますし、ブレブレなんですが、未編集のまま動画公開します。
(音を消して見ると、良い感じかも?)
夕陽を見た後は、もちろん、夕食の時間です!
ツアーなので、人形劇を見ながらの夕食がついています。
これが、なかなか見応えがあって楽しかったです。
料理は、さほど辛くもないけど、香辛料と油はたっぷり使っている感じでした。
日頃から、美味しいもの(糖分・塩分・脂肪)が大好きで、食べ慣れている私は、なんともなかったのですが、後々、この食事が寿姐を苦しめることに…(旅の2日目である、この時には、まだ知らない二人でした…。)
2019年11月28日(木)
翌日、ホテルのレストランで朝食を済ませると、フロントで、午前中だけトゥクトゥクをチャーターしました。もう一度Nyaung U市場に行ってみたかったのと、昨日のツアーで行けなかった所を回ってもらいました。
残念ながら遺跡の中には、修復が追い付かなくて、崩れかけているものもあり、中に入れないところもあります。
日本の援助で修復作業が行われている遺跡も多く見かけました。
しかし、崩れかけのレンガや、一部が剥がれてしまった壁画などが、かえって、諸行無常を表していて、時の流れも感じられて、遺跡を巡っている実感が沸きます。
Nyaung U市場に戻るまでに、別の場所で市が出ていたので、かごを買ったり、布バッグを買ったり、お買い物モードになってきました。
市場では、早めの昼食にモヒンガーを食べ、食後のデザートまでいただきました。
フルーツやホールの胡椒を買って大満足でホテルに戻ります。
せっかく良いホテルに泊まっているので、暑い昼間はプールにでも入って、夕方に歩ける範囲のオールドバガンを巡ることにしました。
プールには、私たち以外は、時々、欧米のゲストが2〜3組入れ替わり立ち替わり来ていました。
ホテルでは、日本人には会いませんでしたね。
私たちが泊まったのは、本館ではなく、バンガロースタイルのお部屋でした。
Bagan Thande Hotelは、立地も設備もサービスも満足のいくものでした。
もう一度、バガンを訪れることがあるとしたら、迷わず、このホテルを選びます。
さて、夕方になったので、オールドバガン内を少し歩いてみましょう。
ホテルの門を出てしばらくすると、馬車の馬を休ませている場所がありました。
オールドバガンの中は、馬車に乗って、のんびり巡るのもいいですね〜!
でも、本当に、少しだけだけど、歩くだけでも、大小様々な遺跡が目に入ります。
寺院とかパゴダとか名前の付かないものまで、作られた時代も様々です。
でも、根底に仏教遺跡である、という共通点があり、仏教遺跡好きには馴染む場所だと思います。
さて、歩き疲れて喉が乾いたな〜と思ったら、ぴったりの場所で、サトウキビジュースに巡り会いました。
本当に、郷に入れば郷に従え、で、暑い国では、甘いサトウキビジュースで乾きが癒されます。
(いろんな状況・条件が違うから、単純に比較はできませんが、今までで一番美味しかったサトウキビジュースは、ベトナム・ハノイの動物園前の屋台のものでした!)
さあ、暗くならないうちにホテルに戻って、レストランで夕食を食べようっと!
そして、ホテルのレストランで夕食を頂きながら、1日目に引き続いて、またまた、美しい日没を見ることができました。
1日目の動画でも呟いているように、日の出(ご来光)とか、日没(夕陽)を写真で撮ることが多いです。
そもそも、見るのが好きなんでしょうね。
全世界に、日の出(ご来光)や日没(夕陽)の名所やスポットがあるということは、好きな人が多いのでしょう。
特に、日の出(ご来光)は宗教的な意味もあると思うけど、原始の時代から、人間は、太陽と共にあった、ということですね。
体内時計まで太陽の光の影響を受けているのだから、もう、DNAにまで組み込まれているのでしょうね。
2019年11月29日(金)
早朝に起きて、国内線でシャン州に移動します。
この日はインレー湖めぐり。ホテルに荷物を置くと、船着場に向かいます。
広い湖に出ると、伝統的な魚網を器用に片手・片脚で操る船が見えます。(おそらく観光客用に見せているようでしたが…それにしても本当に器用です。)
銀工房に寄った後で、ファウンドウーパヤーというお寺に寄り、お花を供えました。
次は、シルクとロータスで織った布の工房を見学します。
シルクはわかるけど、ロータスって蓮のどこの繊維を使うんだろうって思ってたら、ちゃんと見せてくれました。
蓮って本当にどこも捨てるところがないんですね。
シルクだけより艶があるように感じます。
お店の中には、アウン・サン・スーチー女史のサインもありました。(私の知り合いの知り合いは、彼女が京都に来たら必ず会うくらい親しくしているそうです。いつか、また、自由に行き来して、会える日が来ることを祈ります。)
お昼ご飯を頂いた後は、水上菜園や水上家屋を見ながら、ガーペー寺院を目指します。
水上菜園では、トマトなど新鮮な野菜がたくさん作られていました。
それぞれの水上家屋には、大抵、船が2〜3艘あって、野菜を売って現金収入があるからか、町の一般家庭より少し裕福そうに見えました。
ミャンマーの仏様は、とぼけたようなユニークなお顔立ちで、見ているだけで心が和んできます。
猫たちも居心地がいいのか、お寺でたくさんくつろいでいました。(NHKの岩合さんの番組でも紹介されていましたね。)
ホテルに戻ると、今日は、伝統的な踊りのショーをするということで、見せていただきました。
ちなみに、このRoyal Inlay Hotel、こじんまりとした良いホテルでしたが、せっかくバスタブがあるのに、お湯の温度がとてもぬるくて、ポットで沸かしたお湯をバスタブに注いでしのぐ、という荒技を使いました。(必要は、発明の母とは、良く言った!)
2019年11月30日(土)
今回のミャンマー訪問の目的は、二つありました。
バガン遺跡を訪ねること、と、もう一つが、カックー遺跡を訪ねることでした。
バガン遺跡は、世界三大仏教遺跡の一つだし、既に有名でしたが、カックー遺跡は、最近、観光客を受け入れ始めたところだったので、そこに行けるツアーを探したのでした。
TVの「世界不思議発見!」でも取り上げていたのですが、無数に並ぶ仏塔の尖端に付いている鈴が風に吹かれて鳴るのが、とても神秘的に思えたのです。
今日は、そのカックー遺跡に向かいます。
ラッキーなことに、カックー遺跡に向かう途中で、五日市が開かれている、とのことで、立ち寄りました。
5日ごとに、インレー湖の周りの町で、かわるがわる交代に市が立つのだそうです。
アジアの市場が大好きな私たちは、大はしゃぎ!
地域の住民にとっても、生活になくてはならぬものですから、船で駆けつけたりして、大変賑わっていました。
魚屋、油屋、タバコ屋、お茶屋さん、野菜はもちろん、鍛冶屋まで。
生活に必要なものは、ここで、ほとんど揃うのではないでしょうか?
市場を出て、車にしばらく揺られて、カックー遺跡に着くと、お昼時でした。
まず、昼食を食べてから、遺跡見学に行きましょう、ということになりました。
しかし、市場でお茶の葉を買う時までは元気だったはずの寿姐の様子が、この頃から少しおかしかったのです。
お昼ご飯が食べられない、と言い出し、コーラを頼んで、それを飲むことで、胃がムカついていたけど、吐いて、マシになった、と言うのです。
無情にも、私は、美味しく昼食をいただきましたが…。
TVでカックー遺跡を見た時は、何か、鬱蒼とした森の中にひっそりと佇んでいる…という印象を受けたのですが、実際には、低い丘の上の開かれたところに仏塔が密集していました。
仏塔一つ一つが寄進によるものだというから、信心の深さが思い測られます。
おまけに、天気が良くて、青い空をバックに白い仏塔が映えて、とてもフォトジェニックでした。
体調が悪いにも関わらず、遺跡見学をこなしていた寿姐にも頭が下がりますが…。
寿姐は、帰りの車の中でも珍しくしゃべらずに眠っていて、一人、早めにホテルに帰って休むことになりました。
私は、Win Nyuntでマッサージを受けて、ガイドさんと二人で夕食を食べに行きました。
では、これまた未熟なショート動画ですが、瞑想へ誘うような、カックー遺跡の仏塔の鈴の音を聞いていただきましょう。
2019年12月1日(日)
翌日の朝には、寿姐の体調も回復傾向にあり、無事、三度めのプロペラ機に乗って、首都ヤンゴンに戻りました。
チャウタッジーパゴダの涅槃仏と写真を撮り、ボージョー・マーケットを見物して、寿姐の希望で宝石博物館(ミャンマーはアジア有数の宝石の産地として有名です)を見学して、夕刻に合わせて、シュエダゴンパゴダにお詣りしました。
陽が傾いた仏塔の日陰で地べたに座ってくつろぐ地元の人々…現世で功徳を積んで来世の幸せを願う信仰心の厚さ…歴史の中で国や時代によって様々な形態に姿を変えた仏教だけど、根底に流れるものが同じだからこその共感を感じるのでしょうか?
郷愁というか既視感というか、懐かしい慣れ親しんだ感覚を感じながら、時間が過ぎていきました。
ガイドさんと別れてからは、ホテルの近くの新しい商業ビルの中で、夕食を食べて、ミャンマー映画を見ました。
言葉はまるでわからないけれど、内容は、ある女の人が何が原因かわからないけど、体が家よりも大きくなってしまい、あれこれハプニングが起こりながらも、好きな男の人とハッピーエンド、という他愛のないストーリーでした。
おそらく、大きくなった女の人の手のひらに乗る男の人、という撮影技術がミャンマーでは最新だったのかも?
それよりも、映画が始まる前に国旗の映像と共に国歌が流れ、劇場にいた他の観客たちが立ち上がって歌っていたのが印象的でした。
以前、タイのバンコクの駅構内で、国歌が流れ出すと、急にみんなが立ち止まって敬礼したり、頭を下げたりするのに出会ったことがあるのですが、それ以来でした。ミャンマーでもあるんだ〜という感じでした。
ちなみに、この商業ビルの前の通りは、おそらく、ヤンゴンで一番の目抜き通り。12月に入ったので、きちんとクリスマス楓にライトアップされていました。
2019年12月2日(月)
旅の最終日、ヤンゴンの街を歩いてみました。
ホテルの裏道を通って、河岸の船着場近くまで行くまでにも、街の中には、イギリス占領下の西欧風な建築物が多く残っています。
その中に金色のパゴダが急に現れたりします。
船着場から北上し、ヤンゴン駅を経て、NLD本部を目指します。
NLDとは、National League for Democracy の略で、アウン・サン・スーチー女史を党首とする国民民主連盟のことです。
アウン・サン・スーチー女史には会えなくても、NLDグッズを購入することで連帯を示そうということです。
いやあ〜暑い中、迷いながらも、辿り着きました。Tシャツ買いました。
2021年、軍事政権がクーデターを起こしたニュースは、まだ記憶に新しいですが、2023年には、NLDなどの政党を解党処分にするなどの横暴を続けています。
旅でお世話になったガイドさんたち、街で自由を謳歌していた若者たちの中に、今も軍事政府に拘束されている人がいるかと思うと、心が痛みます。
なぜか、私が愛して旅する国々(台湾・香港・韓国)は、それぞれ、中国や北朝鮮とのしがらみに苦しんでおり、香港があのように制圧された今となっては、どうか、これ以上、力による一方的な現状変更が起こらないことを祈ります。
誰にも他人の自由を奪う権利は有りません。誰もがかけがえのない存在です。互いを思いやる平和な未来を思い描きたいものです。
少し政治的な話に及びましたが、あくまで個人的見解ですので、悪しからず。
[9/27追記]
そもそも、なぜ、ミャンマーへの旅を思いついて実行したのか、というと、私自身が、世界3大仏教遺跡のうち、インドネシアのボロブドール遺跡とカンボジアのアンコールワット遺跡には行ったことがあって、あと一つがミャンマーのバガン遺跡だったことが理由の一つでした。
なかなか、旅において、制覇する、という体験は簡単ではないですが、よくある、3大ナニナニ…というものなら、なんとか実現可能かも…と思えるでしょう?
幸い、私の初海外単独旅行が、1994年のバリ島とジャワ島のジョグジャカルタとボロブドール遺跡だったのと、1998年に職場の先輩方と一緒に、カンボジアのアンコールワット遺跡に行っていたのです。
このうち、ボロブドール遺跡は、日本の協力で綺麗に修復されて、すでに観光地として整えられていましたから、あまり感動はしなかったですね。
アンコールワットは、ようやく観光客を受け入れ始めた頃で、周りにホテルがこれからどんどん建てられようとしていました。
私たちが外国人だとわかると、英語を教えてもらおうと、片言で話しかけてくる子どもたちがたくさんいました。
そして、おそらく、現在は、遺跡の摩耗損傷につながるとして、直接触れたり歩いたりすることはできなくなっていると思いますが、あの頃は、遺跡の煉瓦の上を直に登って、その上に腰掛けて夕陽や日の出を見ることができました。
決して、褒められた話ではないけれど、今となっては貴重な体験でした。
そうすると、観光化が遅かっただけあって、ミャンマーのバガン遺跡は、見る価値のある素晴らしいものでした。
今回、訪問できて、本当に良かったと思います。
そして、第2の理由は、まだ行ったことがない国を一つでも減らしたかった、ということもあります。
世界一周をしたことのある人なら、世界地図の中で訪問した国には、色を塗って、「これだけ行ったんだ〜」と感慨に耽ることもあるでしょう。
私自身は、ヨーロッパやアフリカ大陸・南北アメリカ大陸には未上陸で、ほぼアジア専門というような旅をしており、ミャンマーに行くことで、北朝鮮と極東ロシア・フィリピン・バングラディシュを除いた東南アジアを踏破したことになるからです。
それと、もう一つの理由は、ミャンマーがちょうど軍事政権から民主化に向かっていた時期だったからです。
私たちが訪問してから4ヶ月後には、コロナが猛威をふるい、簡単に海外旅行ができなくなってしまいました。
そのコロナ禍が続いている最中に、軍事政権のクーデターが起こり、コロナ禍が収束した今となっても、なかなか気軽にミャンマーを訪問できないような事態になってしまいました。
私たちは、常日頃から、安全に楽しく旅するためには、家内安全(家族や自分自身が健康であること)と世界平和が大切だ、と信じています。
幸いにも旅に行けた時には、「あちらから呼ばれていた。」というふうな言い方もしますが、条件が整わないと、「今は、呼ばれてないんだね〜」と諦めます。
でも、お金と時間はなんとかしてでも、呼ばれているなら、行ける時に行っておかないと、二度と行けない可能性もあります。
最終的に判断するのは自分ですけど、誰もが安全に楽しい旅ができる世の中であってほしいと、切に望む次第です。
余談ですが、世界3大山岳鉄道というのもあって、一つは、台湾の阿里山鉄道、二つ目は、インド・ダージリン鉄道、三つ目が、スイスの山岳鉄道です。
私たちは、このうち、前者二つは、乗ったので、あと一つに乗れば、世界3大山岳鉄道を制覇できます。
でも、TVで、スイスの山岳鉄道を特集していた時、お値段がとてつもなく高かったので、聞いた瞬間に、「無理だ!」と思ってしまいました。
スイスからは、まだまだ、呼ばれていないようです。
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