映画大好き❤️
皆さんは映画お好きですか?
私たち世代にとっては、映画は最大の娯楽でした。
今では、サブスクで、劇場公開後、半年もすれば、自宅で簡単に新作映画が見られるようになりましたが、映画はやっぱり大きなスクリーンで見るのが好きです。
日本は、映画料金が高いですよね。
以前はレディースデーを狙って行っていましたが、
今は、シルバー料金で見られるようになって、曜日を気にしなくて良くなったのが嬉しいです❗️
ところで、皆さんは映画祭って行ったことがありますか?
日本でも東京国際映画祭や夕張ファンタスティック映画祭などがあるのは知っていましたが、
実際に私が初めて行ったのが釜山国際映画祭でした。
7〜8年前に、大阪アジアン映画祭というのが開催されているのを知って、時々行くようになりました。
アジアンというだけあって、韓国・香港・台湾・中国だけでなく、インドやタイ、ベトナム、マレーシア、シンガポールなどの映画も見られるので、興味のある方はお勧めです❗️
上映作品のゲストが来ることもあるし、一般公開される前の注目作がスクリーンで見られるのが嬉しいですね。(劇場公開がⅠ〜2年後になったり、ボツになったりも、よくありますが…。)
韓流前のPIFF
さて、釜山国際映画祭に話を戻しましょう。
釜山国際映画祭は、英文略称がPIFF(Pusan International Film Festival)でしたが、2011年からBIFF(Busan International Film Festival)に変更されました。
PIFFは1996年に始まりました。
2000年に、韓国語のローマ字表記法により、釜山(부산)の英文表記が「Pusan」から「Busan」に変わったのですが、混乱を避けるためにPIFFを使い続けていました。
2011年に映画祭専用の会場「映画の殿堂」が完成すると同時にBIFFに変更されたそうです。
「釜山良いとこ何度もオイソ❣️(오이소)」でも書いたように、現地で映画祭のポスターを見かけたことと、『韓国エンターティメント三昧Vol.2 田代親世 著 2001年 芳賀書店 出版』の中で、第5回PIFFレポートが載っていたので、第6回PIFFに初めて行ってみたのです。
当時のパンフレットを見直してみると、パク・シニャンとチョン・ジニョン主演の「ダルマよ、遊ぼう」の宣伝写真が載っていました。(良い映画です!2もありますよ!機会があれば是非ご覧ください!)
PIFFでは、一般公開がまだの新作をオープニングやクロージング、また注目作として上映しますが、既に自国で公開済みでも、人気があったものや評価の高かったものを再上映します。
この時は、「純愛譜」と「チング」を見ましたが、これらは、韓国では既に公開の済んだ作品だったので、当日でもチケットが手に入ったのだと思います。
チケットを見ると、なんと料金が5,000원というのにも驚きますが、座席番号が「가나다라(日本語のあいうえお)」で書かれていたことも驚きです。(ちなみに映画祭のチケットは未公開作や新作は8,000〜10,000원くらいで、既に公開が済んだ作品は、その半額くらいで見られました。)
この釜山劇場(부산극장)という映画館は、釜山で最初にできた南浦洞にある映画館で、その頃はまだ古い建物のまま残っていて、シネマスコープサイズの劇場でした。
자석/Seat:층(階)열(列)번(番)と書かれたところに、「1 다 053」「1 마 029」と書かれているでしょう?
第7回までは、劇場が同じく釜山劇場や市民会館だったので、「가나다라」でしたが、国際化とシネコン化が進んで、座席番号も日本同様、列がアルファベット、番号が数字に変わりました。
余談
余談ですが、釜山の金海空港は、2007年11月に国内線と国際線を分離してターミナルビルが建て替えられるまでは、国内線と国際線が共用の一つのターミナルしかない空港でした。
なので、搭乗ゲートは1階に2つしかなくて、待合室は大きな空間ひとつ、両端に小さな免税品・お土産店と喫煙室とトイレがあり、2階に喫茶・食堂が一つだけありました。
ゆえに、映画祭の期間中は、有名人といえども、同じ場所で待たねばならず、お買い物中の役所広司や待合室でスタッフとおしゃべり中の永作博美に真近でお会いしたこともありました。(2003年第8回PIFFで「ドッペルゲンガー」がオープニング作品だったので、ゲストとして参加されたのでしょう。)
また、別の時には、最近1年限定で復活活動中の男闘呼組の高橋和也も、同じホテルでチェックアウトした時と、空港の喫茶店でもお会いしましたね。(2001年第6回PIFFで「Hush!」という映画でゲスト参加されたのでしょう。)
今はもう、さすがに、有名人は、別の控え室とかゲートとか使っているんじゃないでしょうか。
それでも、映画祭の期間中は、空港からホテルや会場まで有名人を送迎する専用車が、空港前にたくさん停車しているのを見かけます。
もしかしたら、スターに会えるかも…ですね。
そういえば、海雲台のパラダイスホテルやグランドホテル前にもスターの入り待ちや出待ちをするファンが集まっていました。
私たちも偶然、パラダイスホテル前で、イ・ジュンギに出くわしたことがありました。
それから、注意点がひとつ!映画祭開催中は、海雲台の中級より上のクラスのホテルは、ほとんど映画関係者の予約で埋まってしまって、一般客が宿泊するのは難しいです。
小さな旅館かモーテルをあたるか、あるいは、海雲台以外の場所(南浦洞や西面など)で宿泊するしかありません。
現在は、映画祭の会場がセンタムシティーに移ったので、ホテル事情も少し改善したかもしれませんが。
韓流後のPIFF
第6〜8回まではチケットが残っていたけれど、それ以後残っていないのは、シネコンの小さなチケットと同じになったからじゃないかな?と推測します。
第9・10回は行けていなかったのか、パンフレットもありません。
2006年第11回は、チョ・インソンの「卑劣な街」のオープクトークショーに参加しようと、夜のショーなのに昼間から席取りしたな〜とまでは思い出すのですが、他の記憶が曖昧なんです。
この年のオープニング作品は、「가을로」というユ・ジテ主演の映画だったのですが、映画祭で見たのか、のちに見たのか、定かでない。(映画はとても良い作品で、DVDで何度も見直すほど好きな作品です!)
第11〜13回までは、私の友人でありミーハー道の師と仰ぐY嬢を含めての3人旅でした。
2007年第12回は、オープニング作品が、イ・ビョンホンの出演している、あの日本ドラマの映画版「HERO」で、ヨットハーバーのオープンシアターでの上映でした。
木村拓哉がゲストとして舞台に上がると、近くにいた韓国人の女子学生が「잘 생겼다~~~❤️」(かっこいい~~~)と目をハートにしていました。
私たちも負けじとSMAPのコンサートばりに「拓哉〜!」と叫びましたよ。
そして、翌日、私たちは、カン・ドンウォンに会う!というミッションのために、舞台挨拶のある回の映画「M」(映画自体はイマイチ分かりにくい内容でしたね。)の当日チケットをゲットしようと、ダンボールを敷いて野宿までしました!(まあ、建物の中でしたけど。)
そこまでしても、やはり、チケットはすぐに売り切れてしまい、夢は叶わなかったのでした。
この時に覚えた韓国語…チケット売り場のスタッフが叫んだ無常の言葉…「매진됬어요~~」(売り切れました~)😭
(生身で会いたい韓国スターは、あと、カン・ドンウォンとコン・ユくらいかしらん?)
その代わりといってはなんですが、若き日のユ・アインとチョン・ドヨン、イ・チャンドン監督に会うことができました。
私は、ほとんど知らなかったんですが、Y嬢は、各界のイケメンに早くから目をつけているくらいの才能の持ち主なので、ユ・アインのこともチェック済みだったようです。
映画「いいではないか」の上映中、ユ・アインたちも私たちの5列ほど後ろの斜め端の座席に座っていたらしく、紹介されてから、席を立って、スクリーン前まで降りてきて、びっくりしました。(映画はおかしな家族のお話)
この頃から既におしゃれな感じでした。今では、押しも押されぬ実力派若手俳優ですよね。(私は「六龍が飛ぶ」のイ・バンウォン役が大好き❤)
チョン・ドヨンとイ・チャンドン監督は、映画「蜜陽(Secret Sunshine)」上映後にスクリーン前に現れました。
この年の3月にチョン・ドヨンは結婚して、5月にこの映画でカンヌ国際映画祭の主演女優賞を受賞していました。
私たちは、1列目の席だったので、チョン・ドヨンの童顔(特におでこがテカテカと光っていた)をまじまじと見ることができました。女優さんって本当に顔が小さい❗️
そして、2008年第13回PIFFでは、「いい奴・悪い奴・変な奴」「サニー/あなたは遠くへ」「公共の敵」「その男の本198ページ」の4本を見ました。
「いい奴・悪い奴・変な奴」のオープントークショーでは、イ・ビョンホン、チョン・ウソン、ソン・ガンホの主演3人と監督が出るというので、韓国の若者たちも早くから席取りしていました。
その時、一緒に席取りしながら話した女学生たちは、イ・ビョンホンのファンが多かったですね。声がいいんだそうです。うん、確かに。
「サニー/あなたは遠くへ」を見た後も、突然予定なしに、「ス・エさんが残って下さいました。」と係の人が言い、イ・ジュニク監督と一緒に、元気にス・エがスクリーン前に現れました。
ス・エといえば、おとなしくて純情な役が多いので、そういうイメージで見てしまいますが、話ぶりからは、実際は、快活なお人柄のようでした。
そして、翌日、海岸沿いを歩いていたら、まさに、偶然、イ・ジュニク監督が一人でこちらに歩いてくるのを見つけました。え~!?昨夜、劇場で姿を見た、あの監督が今、目の前に~~~?
トレードマークのキャップをかぶっていたので、(私たちは、監督を韓国の上田正樹と呼んでいる。失礼!)Y嬢が「あ、監督!」と呟いた途端、知っている韓国語を総動員して、「이 준익 감독님 ,영화 빴어요. 감동 받았어요. 악수 해주세요.(イ・ジュニク監督、映画見ました。感動しました。握手してください。)」と駆け寄って話しかけていました。
イ・ジュニク監督も、急に日本のおばさん3人に話しかけられて驚いたでしょうが、快く握手して下さいました。
私たちは、「王の男」「ラジオスター」「楽しい人生」で、すっかりイ・ジュニク監督のファンだったので嬉しかったです。
(その後、「ソウォン/願い」「王の運命」「イ・ドンチュの生涯」「金子文子と朴烈」「チャサンポ」と続くイ・ジュニク監督作品。どれも見ました。大・大・大好きです❗️)
そして、「その男の本198ページ」に出演したイ・ドンウクとユジンが南浦洞のPIFF広場で舞台挨拶をする、というので、その時も早めに席取りをして、最前列を確保して挑みました。
イ・ドンウクも、Y嬢が「マイガール」の頃から注目していましたが、年を重ねるほどに美しくなっていく不思議な人ですね。「トッケビ」の死神役なんて最高ですもんね!
(このPIFF広場では、2002年第7回の時に、映画「コーストガード」の宣伝として、チャン・ドンゴンが舞台挨拶していたのを遠くからですが生で見た思い出があります。韓流前だったからこそできたと思われる舞台挨拶でした。)
PIFF(BIFF)の変遷
南浦洞のPIFF広場は、今も名前はそのまま残されていて、PIFFスクエアには、世界の有名俳優や有名監督のハンドプリントが道に刻まれています。
映画祭の会場も、初期の頃は南浦洞が中心でした。
それが、段々と、海雲台に移っていき、それでも手狭になると、東は萇山駅(장산역)まで広がり、西はセンタムシティー駅(센텀시티역)まで広がりました。
そして、そのセンタムシティーに、2011年に、映画祭専用の劇場「映画の殿堂」(영화의전당)が完成しました。
初期の頃の南浦洞は、PIFF広場とPIFFスクエアを中心に、臨時の舞台を設営したり、映画祭関連のグッズ売り場や映画の宣伝の屋台が食べ物屋台と一緒にずらりと並んでいて、とても賑やかでした。
その頃の映画宣伝グッズは質の良いものがあって、今でも大事に使っています。
外国人客もまだまだ少なくて、私たちが日本人だと知ると驚く人も多かったです。
実際に、現地の大学生から映画祭についてのアンケートを求められ、片言の英語とジェスチャーで答えると、驚くと共に大変喜んでくれました。
その時に、「南浦洞と海雲台を地下鉄で行き来するのは大変だから、無料のシャトルバスがあったらいいと思う。」と意見をだしたのですが、次に行った時に、それが実現していたので、私たちの意見が取り入れられたんだ〜と嬉しくなりました。
アンケートに答えたお礼に、と頂いたマグカップ、気に入って使いすぎて洗いすぎて、文字や絵が消えかけていますが、大切な思い出の品です。
こんなふうに、市民レベルで映画祭を盛り上げようとするエネルギーを街全体に感じて、釜山をさらに好きになりました。これこそがPIFFの最大の魅力だと思います。
しかし、2002年のサッカーW杯共催に続いて、日本では、2003年にBSで、2004年に地上波で、NHKが「冬のソナタ」を放映したことから、空前のヨン様ブーム、第一次韓流ブームが巻き起こりました。
それから、どんどん、訪韓客は増加し、いつしか、プサンナビ(情報収集に大変お世話になっております!)でも映画祭ツアーを募集するまでになりました。
思えば、ハングルしか書いていなかった地下鉄やバスに、アルファベット表記が付くようになり、ついには、主要な地下鉄の駅では、日本語の放送まで聞こえるようになりました。
今や、日本の鉄道・バスでも、英語・中国語・韓国語のアナウンスが流れるという、国際交流も、ここまで進んだか〜と感慨ひとしおです。
今では、韓国の映画館のほとんどがシネコンになりました。ロッテ、CGV、Megaboxが主な大手企業といえます。
この辺りの事情は日本も同じで、松竹、東宝、東映系が主で、そこにイオンや外資系のユナイテッドが加わるくらいでしょうか。
昔の単館系の映画館は、ほぼ見かけなくなりました。
ミニシアターも1~3個はスクリーンを持っているしね。でも、ミニシアターには頑張ってほしいです!
南浦洞の釜山劇場がなくなる、と聞いて、この場所から映画の灯を消してはいけない、と市民が声を上げて、シネコンの形ででも残すことになった、と聞いています。
ここにも、釜山市民の熱い映画愛を感じます。
ただ、「映画の殿堂」ができて、BIFFになった頃からは、映画祭の商業化の波が、市民レベルの活動を上回ってしまった感じは否めません。
決して、映画祭の魅力が低下しているとまでは思わないのですが、私たちが年を取ったせいで、ミーハーなパワーが衰えてしまって、ついていけなくなっている、というべきでしょうか。
また、映画祭の開催時期ですが、2002年第7回までは、11月半ばでした。
2002年末~2003年前半にかけて、中国南部~台湾などで、SARSが猛威を振るったため、少しでも寒い時期(ウイルスの感染力が増す時期)を避ける意図で、2003年第8回からは、10月半ばに変更されたと推察します。
そのため、10月半ばは、ちょうど同じ時期にチャガルチ祭りが重なるため、観光客にとっては便利になったのではないでしょうか。
第14・15と行けず、第16回の時は、ソ・ジソプとハン・ヒョジュ主演の「ただ君だけ」(日本で、吉高由里子と横浜流星でリメークされましたね)は、見ましたが、あとは、むしろ、映画祭の雰囲気だけを楽しんで、映画は普通の映画館で見て過ごしました。久しぶりに行った第20回の時もそうでした。
その後、日韓の政治の不仲のせいで、飛行機が減便されて、行きにくくなったことと、コロナのせいで、8年も釜山の地を踏んでいません。
が、なんとか久しぶりに映画祭に参加したくて、ついに航空券を買ってしまいました!
8年ぶり第28回釜山国際映画祭は、どうなっているのか?また、ご報告しますね~~~!
〜文中、敬称は省略させていただきました。〜
[9/11追記]
上記を投稿した後で、旅の資料を整理していたら、第10回PIFFの小さなパンフレットが見つかりました。
小遣い帳と共に日記も見つかりました。(資料は早めにきちんと整理しておかなくてはダメですね。反省!)
その年は、寿姐がなんらかの都合で参加できず、満妹一人で参加したのでした。
こんな手のひらサイズのパンフレットもあったんですね〜。
映画祭の映画が、どこの劇場でいつ何時に上映されているか、という最低限の情報が載っています。
映画祭では、イ・ジョンジェとチャン・ドンゴンの「台風」が目玉作品でしたが、チケットはゲットできず、グッズをもらったり、夜の宿のTVの特番で、主演2人のインタビューなどを見て、満足していました。
映画祭関連の映画では、ソル・ギョング主演の「力道山」と、シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・へジョン主演の「ウェルカム・トゥ・トンマッコル」を見ました。
そして、映画祭以外の映画で、チョン・ドヨン、ファン・ジョンミン主演の「君は僕の運命」と、ハン・ソッキュが主婦に変装する「ミスター主婦」を見ました。
特に、「君は僕の運命」で、初めて、ファン・ジョンミンという俳優を知って、すごい俳優がいるな〜と感心したものです。(なにせ、この作品で、彼は、デニーロ式ともいうべき演技法で、体重を激変させての熱演でした。これ以降、映画に出ない年は、なかったのではないでしょうか?今ではもう押しも押されぬ大スターですよね!)
この頃見た映画の俳優さんが、ほぼ20年たった今でも第一線で活躍しているのが誇らしいです。
以上、追記でした。
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