釜山良いとこ何度もオイソ❣️

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 初めは、「韓国旅日記」と見出しをつけていたのですが、ちょっと待てよ、と。
 実は、私たち、韓国の中でも釜山が好きで、たまに慶州や済州島にも行くけど、ソウルには、かれこれ5回ほどしか行ったことがないのです。
 なので、やっぱり、これは、「釜山旅日記」だな〜と書き直した次第です。

 それでも、韓国との出会いは、やっぱりソウルでしたよ。
 職場の慰安旅行で1998年に2泊3日のソウル。
 この時に偶然、同室になったのが縁で、満寿の二人は一緒に旅する仲になりました。
 その時には、こんな写真も撮りましたね。



 出会いは、ソウルだったのに、なぜ、釜山にハマって行ったかというと、韓国第二の都市でもあり(東京より大阪、dokomoよりKDDIみたいな2位好き心理ってわかります?)、港町でもある、そして、日本に一番近い(福岡からビートルに乗って3時間40分!)というのと、何か雑誌で朝靄に煙った街角でしじみ汁が売られている、という写真を見かけて、それに心惹かれたというのもあります。
 それと、私個人的には、与那国島から台湾を見た経験から、長崎県の対馬に行った時に、気候条件が良ければ、ここから釜山の街の灯が見えるらしいと聞いて、俄然、興味が沸いたのでした。(結局、行ったのが夏だったので、対馬から釜山の街の灯は見えませんでしたけど。)
 見えたら、こんな感じだそうです。(現地で買ったテレカですが。)



 そして、初めての釜山は、フリー時間のあるツアーで行きました。
 それでも、現地のガイドさんに、ホテルの部屋をオンドルバンに変えてもらったり、アレンジを楽しんでいました。初めて泊まったのは南浦洞でした。
 春の桜とケナリが綺麗ですよ、と聞いて、春に慶州とともに訪れること2回。
 桜の名所としては、釜山の近くの鎮海が有名ですが、釜山も負けていませんよ。

釜山東莱区金剛公園サクラとケナリが満開
古い写真で黄ばんでますが、慶州仏国寺です



 そして、毎年釜山を旅するようになった決定的理由は、釜山国際映画祭の存在を知ったからです。
 ポスターか何かを現地で見かけたのと、『韓国エンターティメント三昧Vol.2 田代親世 著 2001年 芳賀書店 出版』の中で、第5回釜山国際映画祭レポートが載っていたので、第6回釜山国際映画祭に初めて行ってみました。
 当時は、2000年1月に『シュリ』が日本で公開され、第一次韓国映画ブームの真っ只中でした。
 私たちは、1999年秋の香港で、この『シュリ』を日本公開より早く観る絶好のチャンスをみすみす逃していました。
 思えば、ハリウッド映画ですら、香港や韓国・台湾では、日本よりも劇場公開が早い、ということを知ったのも、この時が最初でした。
 そして、その悔しさをバネに、外国で、まだ日本で公開されていない映画を観る楽しみというのを覚えていきました。
 最初が香港だったのが良かったですね。
 漢字字幕(普通語字幕)と英語字幕が出るので、当時、まだまだ韓国語を知らなかった私たちでも、なんとかストーリーを掴めたのです。
 そして、釜山国際映画祭でも、国際とついているだけあって、英語字幕があったのです。
 ただ、まだまだオンライン予約が日本からできるような状態ではなかったので、行き当たりばったり、当日券売り場でチケットを買っていました。
 ちゃんと映画祭のプログラムが無料で配られていて、英語の説明文もあったので、なんとか購入できました。
 2000年香港で『時越愛(イルマーレ)』を観て、共にイ・ジョンジェに❤️になった私たち、(へへ〜ん!『イカゲーム』なんて20年も遅いんだよ!)しっかり『純愛譜』を観ました。
 イ・ジェヨン監督の舞台挨拶もあって、観客が気軽に質問していたのが印象的だったな〜そして、それをいちいち係の人(ボランティアの学生さんじゃないかと思うけど。)が英訳するんです。
 日本国内でも映画祭なんて参加したことがなかったので、とても新鮮でした。
 そして、通訳もボランティアだったように、市民レベルで映画祭を盛り上げようとしているのが、そこここで感じられて、虜になって、釜山に毎年通うようになったのです。
 釜山映画祭については、別に詳しく語りたいので、ここでは、こうして、ソウルでなく釜山にハマっていったのだ、ということをわかってください。
 釜山へのハマり方も少しづつ書いていきますね。


上が『純愛譜』下が『チング』のチケット

“釜山良いとこ何度もオイソ❣️” への1件のコメント

  1. […]  さて、釜山国際映画祭に話を戻しましょう。 釜山国際映画祭は、英文略称がPIFF(Pusan International Film Festival)でしたが、2011年からBIFF(Busan International Film Festival)に変更されました。 PIFFは1996年に始まりました。 2000年に、韓国語のローマ字表記法により、釜山(부산)の英文表記が「Pusan」から「Busan」に変わったのですが、混乱を避けるためにPIFFを使い続けていました。 2011年に映画祭専用の会場「映画の殿堂」が完成すると同時にBIFFに変更されたそうです。 「釜山良いとこ何度もオイソ❣️(오이소)」でも書いたように、現地で映画祭のポスターを見かけたことと、『韓国エンターティメント三昧Vol.2 田代親世 著 2001年 芳賀書店 出版』の中で、第5回PIFFレポートが載っていたので、第6回PIFFに初めて行ってみたのです。 当時のパンフレットを見直してみると、パク・シニャンとチョン・ジニョン主演の「ダルマよ、遊ぼう」の宣伝写真が載っていました。(良い映画です!2もありますよ!機会があれば是非ご覧ください!) PIFFでは、一般公開がまだの新作をオープニングやクロージング、また注目作として上映しますが、既に自国で公開済みでも、人気があったものや評価の高かったものを再上映します。 この時は、「純愛譜」と「チング」を見ましたが、これらは、韓国では既に公開の済んだ作品だったので、当日でもチケットが手に入ったのだと思います。 チケットを見ると、なんと料金が5,000원というのにも驚きますが、座席番号が「가나다라(日本語のあいうえお)」で書かれていたことも驚きです。(ちなみに映画祭のチケットは未公開作や新作は8,000〜10,000원くらいで、既に公開が済んだ作品は、その半額くらいで見られました。) この釜山劇場(부산극장)という映画館は、釜山で最初にできた南浦洞にある映画館で、その頃はまだ古い建物のまま残っていて、シネマスコープサイズの劇場でした。 자석/Seat:층(階)열(列)번(番)と書かれたところに、「1 다 053」「1 마 029」と書かれているでしょう? 第7回までは、劇場が同じく釜山劇場や市民会館だったので、「가나다라」でしたが、国際化とシネコン化が進んで、座席番号も日本同様、列がアルファベット、番号が数字に変わりました。 […]

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